沿革

大内氏全盛の時、この千崎に現在の(清光院)から南東100メートル離れた地に享和三年に佛性山安楽寺(西山浄土宗、西福寺)の末寺(寺子屋)があり明治6年に廃仏毀釈により執務撤廃される。

 安楽寺の廃寺を嘆いた檀家有志が奔走して、備前岡山藩主、池田綱政の菩提寺であった護国山清光院を修蓮社勸譽上人により明治二十六年十二月に引寺し現本堂を建立し明治三十三年寺號を許可される

その時に浄土宗鎮西派に開宗されている。開山上人は勸譽上人とす。

明治三十三年九月当地に移転せり時に藤重單信上人の時で移転開山第一祖となす。

 本尊阿弥陀如来、平重盛卿の念持佛なりと伝え座木造二尺。

由来によると豊浦郡田耕村安楽寺境内の尼寺に安置された本尊で源平壇之浦の合戦に於いて安徳院と二位の尼と比尼寺に身を隠し御持佛を安置して武運長久を祈願した一釈迦牟尼佛七寸行基の作と伝扉佛なり。

 

境内には、寺号が許可されたのを喜び「當山創建記念碑」が建立されている。

側面には「本尊寄贈権譽上人」正面には「開山直譽上人」世話人の目六之助外十三名の刻字がある。

頌徳碑がある。

目正温(名は百合蔵)先生の碑がある一八四九年目清左衛門の次子として生まれ、幼にして読書を好み、七二年、国民皆学を目指し、学制が公布された年、教員養成所に入る。卒業して現在の高千帆小の訓導となり不撓不屈、教化に努めた。八三年に職を辞してから仏道に帰依し、信仰一筋の生涯を終えられた。先生に教えを受けた門徒が、その徳を慕い、一九二四年に建立したもだ。

もう一つ石碑がある。正面に「眞鍋翁之碑」と大きく刻字されている。 眞鍋翁は五八年、本堂、庫裏などを大改修した時の世話人として献身的に働かれたひとだ。

住職

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清光院
住職  中尾 玄秀

清光院

名称 浄土宗 清光院(せいこういん)
住職中尾玄秀
住所〒759-0039 山口県山陽小野田市千崎728
電話 0836-84-0922
FAX 0836-84-6680

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  • 山口県山陽小野田市千崎728
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